国定読本用語総覧 第三期『尋常小学国語読本』大正七年度以降使用 - 国立国語研究所

国立国語研究所 大正七年度以降使用 尋常小学国語読本

Add: uraciju71 - Date: 2020-12-12 21:37:41 - Views: 4949 - Clicks: 8118

国定読本用語総覧 2 (第二期『尋常小学読本』明治四十三年度以降使用 あ~て) <国立国語研究所国語辞典編集資料 2> ¥ 1,520 国立国語研究所 編 、三省堂 、昭62 、882p 、27cm 、1冊. 5 第3期 「尋常小学国語読本」大正七年度以降使用 : と〜ん. 平安時代以降、語中・語尾の「は行」音が「わ行」音に変化するハ行転呼が起こった。たとえば、「かは(川)」「かひ(貝)」「かふ(買)」「かへ(替)」「かほ(顔)」は、それまで kaɸa kaɸi kaɸu kaɸe kaɸo であったものが、kawa kawi kau kawe kawoになった。「はは(母)」も、キリシタン資料では「faua」(ハワ)と記された例があるなど、他の語と同様にハ行転呼が起こっていたことが知られる。 平安時代末頃には、 1. See full list on weblio. .

修正尋常小学教授日案 第2学年第1-11巻: 明45: 普通教育研究会編: 修正尋常小学教授日案 第3学年第1-8巻: 大11: 普通教育研究会編: 修正尋常小学教授日案 第4学年第7・8巻: 大11: 普通教育研究会編: 明治45年福岡県実地教育研究会記録 明治-大正. 小学国語読本〈巻1ー2〉―尋常科用昭和期 (1970年) 文部省 国定読本用語総覧〈1〉第一期『尋常小学読本』明治三十七年度以降使用 (1985年) (国立国語研究所国語辞典編集資料〈1〉). 5 形態: 936p ; 27cm 著者名: 国立国語研究所 シリーズ名: 国立国語研究所国語辞典編集資料 ; 3. 11-形態: 冊 ; 27cm. 1 第1期 「尋常小学読本」明治三十七年度以降使用 : あ〜ん 2 第2期 「尋常小学読本」明治四十三年度以降使用 : あ〜て 3 第2期 「尋常小学読本」明治四十三年度以降使用 : と〜ん 4 第3期 「尋常小学国語読本」大正七年度以降使用 : あ〜て 5 第3期 「尋常小学.

【tsutaya オンラインショッピング】国定読本用語総覧 第三期『尋常小学国語読本』大正七年度以降使用(5)/国立国語. かつての日本語には、係り結びと称される文法規則があった。文中の特定の語を「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」などの係助詞で受け、かつまた、文末を連体形(「ぞ」「なむ」「や」「か」の場合)または已然形(「こそ」の場合)で結ぶものである(奈良時代には、「こそ」も連体形で結んだ)。 係り結びをどう用いるかによって、文全体の意味に明確な違いが出た。たとえば、「山里は、冬、寂しさ増さりけり」という文において、「冬」という語を「ぞ」で受けると、「山里は冬ぞ寂しさ増さりける」(『古今集』)という形になり、「山里で寂しさが増すのは、ほかでもない冬だ」と告知する文になる。また仮に、「山里」を「ぞ」で受けると、「山里ぞ冬は寂しさ増さりける」という形になり、「冬に寂しさが増すのは、ほかでもない山里だ」と告知する文になる。 ところが、中世には、「ぞ」「こそ」などの係助詞は次第に形式化の度合いを強め、単に上の語を強調する意味しか持たなくなった。そうなると、係助詞を使っても、文末を連体形または已然形で結ばない例も見られるようになる。また、逆に、係助詞を使わないのに、文末が連体形で結ばれる例も多くなってくる。こ. 3 第2期 「尋常小学読本」明治四十三年度以降使用 : と〜ん 4 第3期 「尋常小学国語読本」大正七年度以降使用 : あ〜て 5 第3期 「尋常小学国語読本」大正七年度以降使用 : と〜ん 6 第4期 「小学国語読本」昭和八年度以降使用 : あ〜つ 7 第4期 「小学国語読本. 11- 1 国定読本用語総覧 第三期『尋常小学国語読本』大正七年度以降使用 - 国立国語研究所 第1期 あ-ん 2 第2期 あ-て 3 第2期 と-ん 4 第3期 あ-て 5 第3期 と-ん 6 第4期 あ-つ 7 第4期 て-ん 8 第5期 あ-つ 9 第5期 て-ん 10 第6期 あ-つ 11 第6期 て-ん 12 総集編.

. 1 第1期 「尋常小学読本」明治三十七年度以降使用 : あ〜ん 2 第2期 「尋常小学読本」明治四十三年度以降使用 : あ〜て 3 第2期 「尋常小学読本」明治四十三年度以降使用 : と〜ん 4 第3期 「尋常小学国語読本」大正七年度以降使用 : あ〜て. 明治十七年(1884年)六月に公刊された『小学唱歌集』第三編の第五十三「あふげバ尊し」として初出。『小学唱歌集』は、木版・変体仮名で印刷されています。 日本最初の音楽教科書である『小学唱歌集』初編の公刊は、明治十五年四月でした。. 話し言葉は、時代と共にきわめて大きな変化を遂げるが、それに比べて、書き言葉は変化の度合いが少ない。そのため、何百年という間には、話し言葉と書き言葉の差が生まれる。 日本語の書き言葉がひとまず成熟したのは平安時代中期であり、その頃は書き言葉・話し言葉の差は大きくなかったと考えられる。しかしながら、中世のキリシタン資料のうち、語り口調で書かれているものを見ると、書き言葉と話し言葉とにはすでに大きな開きが生まれていたことが窺える。江戸時代の洒落本・滑稽本の類では、会話部分は当時の話し言葉が強く反映され、地の部分の書き言葉では古来の文法に従おうとした文体が用いられている。両者の違いは明らかである。 明治時代の書き言葉は、依然として古典文法に従おうとしていたが、単語には日常語を用いた文章も現れた。こうした書き言葉は、一般に「普通文」と称された。普通文は、以下のように小学校の読本でも用いられた。 普通文は、厳密には、古典文法そのままではなく、新しい言い方も多く混じっていた。たとえば、「解釈せらる」というべきところを「解釈さる」、「就学せしむる義務」を「就学せしむるの義務」などと言うことがあっ. 漢語(中国語の語彙)が日本語の中に入り始めたのはかなり古く、文献以前の時代にさかのぼると考えられる。今日和語と扱われる「ウメ(梅)」「ウマ(馬)」なども、元々は漢語からの借用語であった可能性がある。 当初、漢語は一部の識字層に用いられ、それ以外の大多数の日本人は和語(大和言葉)を使うという状況であったと推測される。しかし、中国の文物・思想の流入や仏教の普及などにつれて、漢語は徐々に一般の日本語に取り入れられていった。鎌倉時代最末期の『徒然草』では、漢語及び混種語(漢語と和語の混交)は、異なり語数で全体の31%を占めるに至っている。ただし、延べ語数では13%に過ぎず、語彙の大多数は和語が占める。幕末の和英辞典『和英語林集成』の見出し語でも、漢語はなお25%ほどに止まっている。 漢語が再び勢力を伸張したのは幕末から明治時代にかけてである。「電信」「鉄道」「政党」「主義」「哲学」その他、西洋の文物を漢語により翻訳した(新漢語。古典中国語にない語を特に和製漢語という)。幕末の『都鄙新聞』の記事によれば、京都祇園の芸者も漢語を好み、「霖雨ニ盆池ノ金魚ガ脱走シ、火鉢ガ因循シテヰル」(長雨で池. 第二期『尋常小学読本』明治四十三年度以降使用 フォーマット: 図書 責任表示: 国立国語研究所 出版情報: 東京 : 三省堂, 1988.

第二期『尋常小学読本』明治四十三年度以降使用 Format: Book Responsibility: 国立国語研究所 Published: 東京 : 三省堂, 1987. 「え」と「ゑ」(および語中・語尾の「へ」) 3. 刊年: 1985: 形態: 冊 ; 27cm: 別書名: 国定読本用語総覧: シリーズ名: 国立国語研究所国語辞典編集資料; 1-12: 注記: 1 第1期 「尋常小学読本」明治三十七年度以降使用 : あ~ん 2 第2期 「尋常小学読本」明治四十三年度以降使用 : あ~て 3 第2期 「尋常小学読本」明治四十三年度以降使用 : と~ん 4 第3. 【tsutaya オンラインショッピング】国定読本用語総覧 第三期『尋常小学国語読本』大正七年度以降使用(4)/国立国語. 平安時代から、発音を簡便にするために単語の音を変える音便現象が少しずつ見られるようになった。「次(つ)ぎて」を「次いで」とするなどのイ音便、「詳(くは)しくす」を「詳しうす」とするなどのウ音便、「発(た)ちて」を「発って」とするなどの促音便、「飛びて」を「飛んで」とするなどの撥音便が現れた。『源氏物語』にも、「いみじく」を「いみじう」とするなどのウ音便が多く、また、少数ながら「苦しき」を「苦しい」とするなどのイ音便の例も見出される。鎌倉時代以降になると、音便は口語では盛んに用いられるようになった。 中世には、「差して」を「差いて」、「挟みて」を「挟うで」、「及びて」を「及うで」などのように、今の共通語にはない音便形も見られた。これらの形は、今日でも各地に残っている。. 動詞の活用種類は、平安時代には9種類であった。すなわち、四段・上一段・上二段・下一段・下二段・カ変・サ変・ナ変・ラ変に分かれていた。これが時代とともに統合され、江戸時代には5種類に減った。上二段は上一段に、下二段は下一段にそれぞれ統合され、ナ変(「死ぬ」など)・ラ変(「有り」など)は四段に統合された。これらの変化は、古代から中世にかけて個別的に起こった例もあるが、顕著になったのは江戸時代に入ってからのことである。ただし、ナ変は近代に入ってもなお使用されることがあった。 このうち、最も規模の大きな変化は二段活用の一段化である。二段→一段の統合は、室町時代末期の京阪地方では、まだまれであった(関東では比較的早く完了した)。それでも、江戸時代前期には京阪でも見られるようになり、後期には一般化した。すなわち、今日の「起きる」は、平安時代には「き・き・く・くる・くれ・きよ」のように「き・く」の2段に活用したが、江戸時代には「き・き・きる・きる・きれ・きよ(きろ)」のように「き」の1段だけで活用するようになった。また、今日の「明ける」は、平安時代には「け・く」の2段に活用したが、江戸時代には. 主題: 国語科; 教科書: 分類・件名: ndc8 : 375. 明治政府の成立後は、政治的・社会的に全国的な統一を図るため、また、近代国家として外国に対するため、言葉の統一・標準化が求められるようになった。学校教育では「東京の中流社会」の言葉が採用され、放送でも同様の言葉が「共通用語」(共通語)とされた。こうして標準語の規範意識が確立していくにつれ、方言を矯正しようとする動きが広がった。教育家の伊沢修二は、教員向けに書物を著して東北方言の矯正法を説いた。地方の学校では方言を話した者に首から「方言札」を下げさせるなどの罰則も行われた。軍隊では命令伝達に支障を来さないよう、初等教育の段階で共通語の使用が指導された。 一方、戦後になると各地の方言が失われつつあることが危惧されるようになった。NHK放送文化研究所は、(昭和20年代の時点で)各地の純粋な方言は80歳以上の老人の間でのみ使われているにすぎないとして、1953年から5年計画で全国の方言の録音を行った。この録音調査には、柳田邦夫、東条操、岩淵悦太郎、金田一春彦など言語学者らが指導にあたった。 また、経済成長とともに地方から都市への人口流入が始まると、標準語と方言の軋轢が顕在化した。1950年.

3 第2期 「尋常小学読本」明治四十三年度以降使用 : と〜ん. 6 第4期 「小学国語読本」昭和八年度以降使用 : あ〜つ. 平安時代までは、発音と仮名はほぼ一致していた。その後、発音の変化に伴って、発音と仮名とが1対1の対応をしなくなった。たとえば、「はな(花)」の「は」と「かは(川)」の「は」の発音は、平安時代初期にはいずれも「ファ」(ɸa) であったとみられるが、平安時代に起こったハ行転呼により、「かは(川)」など語中語尾の「は」は「ワ」と発音するようになった。ところが、「ワ」と読む文字には別に「わ」もあるため、「カワ」という発音を表記するとき、「かわ」「かは」のいずれにすべきか、判断の基準が不明になってしまった。ここに、仮名をどう使うかという仮名遣いの問題が発生した。 その時々の知識人は、仮名遣いについての規範を示すこともあったが(藤原定家『下官集』など)、必ずしも古い仮名遣いに忠実なものばかりではなかった(「日本語研究史」の節参照)。また、従う者も、歌人、国学者など、ある種のグループに限られていた。万人に用いられる仮名遣い規範は、明治に学校教育が始まるまで待たなければならなかった。. 教育(本・コミック)のネット通販ならセブンネットショッピング。セブン‐イレブン店舗受取りなら送料無料&24時間. 9 ndlc : fc49 ndlsh : 教科書 ndlsh : 国語科: 注記: 本書の市販品は三省堂より発行 1 第1期 「尋常小学読本」明治三十七年度以降使用 : あ〜ん. 母音の数は、奈良時代およびそれ以前には現在よりも多かったと考えられる。橋本進吉は、江戸時代の上代特殊仮名遣いの研究を再評価し、記紀や『万葉集』などの万葉仮名において「き・ひ・み・け・へ・め・こ・そ・と・の・も・よ・ろ」の表記に2種類の仮名が存在することを指摘した(甲類・乙類と称する。「も」は『古事記』のみで区別される)。橋本は、これらの仮名の区別は音韻上の区別に基づくもので、特に母音の差によるものと考えた。橋本の説は、後続の研究者らによって、「母音の数がアイウエオ五つでなく、合計八を数えるもの」という8母音説と受け取られ、定説化した(異説として、服部四郎の6母音説などがある)。8母音の区別は平安時代にはなくなり、現在のように5母音になったとみられる。なお、上代日本語の語彙では、母音の出現の仕方がウラル語族やアルタイ語族の母音調和の法則に類似しているとされる。 「は行」の子音は、奈良時代以前には p であったとみられる。すなわち、「はな(花)」は pana(パナ)のように発音された可能性がある。p は遅くとも平安時代初期には無声両唇摩擦音 ɸ に変化していた。すなわ.

漢語が日本語に取り入れられた結果、名詞・サ変動詞・形容動詞の語彙が特に増大することになった。漢語は活用しない語であり、本質的には体言(名詞)として取り入れられたが、「す」をつければサ変動詞(例、祈念す)、「なり」をつければ形容動詞(例、神妙なり)として用いることができた。 漢語により、厳密な概念を簡潔に表現することが可能になった。一般に、和語は一語が広い意味で使われる。たとえば、「とる」という動詞は、「資格をとる」「栄養をとる」「血液をとる」「新人をとる」「映画をとる」のように用いられる。ところが、漢語を用いて、「取得する(取得す)」「摂取する」「採取する」「採用する」「撮影する」などと、さまざまなサ変動詞で区別して表現することができるようになった。また、日本語の「きよい(きよし)」という形容詞は意味が広いが、漢語を用いて、「清潔だ(清潔なり)」「清浄だ」「清澄だ」「清冽だ」「清純だ」などの形容動詞によって厳密に表現することができるようになった。 外来語は、漢語ほど高い造語力を持たないものの、漢語と同様に、特に名詞・サ変動詞・形容動詞の部分で日本語の語彙を豊富にした。「インキ」「. 「い」と「ゐ」(および語中・語尾の「ひ」) 2. 国定読本の語彙 発表者/島村 直己氏(国立国語研究所) 本発表は、第1期から第6期までの国定小学校用国語教科書の語彙(自立語に限定)の分析の報告である。なお島村氏は第6期の名称に関しては教育史の通称に従って「文部省著作教科書」とする。. 国定読本用語総覧 フォーマット: 図書 責任表示: 国立国語研究所編 出版情報: 東京 : 三省堂, 1985. 国定読本用語総覧 フォーマット: 図書 責任表示: 国立国語研究所編 言語: 日本語 出版情報: 東京 : 三省堂, 1985. 活用語のうち、四段活用以外の動詞・形容詞・形容動詞および多くの助動詞は、平安時代には、終止形と連体形とが異なる形態を採っていた。たとえば、動詞は「対面す。」(終止形)と「対面する(とき)」(連体形)のようであった。ところが、係り結びの形式化とともに、上に係助詞がないのに文末を連体形止め(「対面する。」)にする例が多く見られるようになった。たとえば、『源氏物語』には、 などの言い方があるが、本来ならば「見おろさる」の形で終止すべきものである。このような例は、中世には一般化した。その結果、動詞・形容詞および助動詞は、形態上、連体形と終止形との区別がなくなった。 形容動詞は、終止形・連体形活用語尾がともに「なる」になり、さらに語形変化を起こして「な」となった。たとえば、「辛労なり」は、終止形・連体形とも「辛労な」となった。もっとも、終止形には、むしろ「にてある」から来た「ぢや」が用いられることが普通であった。したがって、終止形は「辛労ぢや」、連体形は「辛労な」のようになった。「ぢや」は主として上方で用いられ、東国では「だ」が用いられた。今日の共通語も東国語の系統を引いており、終止形語尾. 国定読本用語総覧 国立国語研究所編 (国立国語研究所国語辞典編集資料, 1-12) 国立国語研究所, 1985. 国定読本用語総覧(品切) 国定読本用語総覧cd-rom版: 国立国語研究所=編: 90000 円: 三省堂選書32 国民の医療史 新版(品切) 野村拓=著: 国連とNGO(品切) 福田菊=著: 一語の辞典 こころ(品切) 相良亨=著: 金言・名言どう読むか 心と気持のほぐし方.

4 第3期 「尋常小学国語読本」大正七年度以降使用 : あ〜て. 近代以降、台湾や朝鮮半島などを併合・統治した日本は、現地民の台湾人・朝鮮民族への皇民化政策を推進するため、学校教育で日本語を国語として採用した。満州国(現在の中国東北部)にも日本人が数多く移住した結果、日本語が広く使用され、また、日本語は中国語とともに公用語とされた。日本語を解さない主に漢民族や満州族には簡易的な日本語である協和語が用いられていたこともあった。現在の台湾(中華民国)や朝鮮半島(北朝鮮・韓国)などでは、現在でも高齢者の中に日本語を解する人もいる。 一方、明治・大正から昭和戦前期にかけて、日本人がアメリカ・カナダ・メキシコ・ブラジル・ペルーなどに多数移民し、日系人社会が築かれた。これらの地域コミュニティでは日本語が使用されたが、世代が若年になるにしたがって、日本語を解さない人が増えている。 1990年代以降、日本国外から日本への渡航者数が増加し、かつまた、日本企業で勤務する外国人労働者(日本の外国人)も飛躍的に増大しているため、国内外に日本語教育が広がっている。国・地域によっては、日本語を第2外国語など選択教科の一つとしている国もあり、日本国外で日本語が学習される機会は増えつつある。 とりわけ、1990年代以降、「クールジャパン」といわれるように日本国外でアニメーションやゲーム、映画、テレビドラマ、J-POP(邦楽)に代表される音楽、漫画などに代表させる日本の現代サブカルチャーを「カッコいい」と感じる若者が増え、その結果、彼らの日本語に触れる機会が増えつつあるという。 日本人が訪問することの多い日本国外の観光地などでは、現地の広告や商業施設店舗の従業員との会話に日本語が使用されることもある。このような場で目に触れる日本語のうち、新奇で注意を引く例は、雑誌・書籍などで紹介されることも多い。. この表および解説によれば、利用者は、第四期国定国語教科書の『小学国語読本』(俗称「サクラ読本」)巻11、12を使用したものと予想される。 『小学国語読本』の解説は、『日本教科書大系 近代編 第7巻 国語(4)』(講談社 1978)にあるが、『小学国語. 国定読本用語総覧(4) - 国立国語研究所 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まっ. 3 第2期 「尋常小学読本」明治四十三年度以降使用 : と〜ん 4 第3期 「尋常小学国語読本」大正七年度以降使用 : あ〜て 5 第3期 「尋常小学国語読本」大正七年度以降使用 : と〜ん 6 第4期 「小学国語読本」昭和八年度以降使用 : あ〜つ. たまふ)や「坐」(. 5 Description: 882p ; 27cm Authors: 国立国語研究所 Series: 国立国語研究所国語辞典編集資料 ; 2.

11-形態: 冊 ; 27cm 著者名: 国立国語研究所 シリーズ名: 国立国語研究所国語辞典編集資料 ; 1-12 書誌id: bnisbn:. 本発表は、第三期国定教科書『尋常小学国語読本』(ハナハト読本/白表紙本、一九一七~一九二三年刊行・採択)を、点字に翻字した『点字 尋常小学国語読本』の仮名づかいについて報告したものであった。. 8 小学国語読本(尋常科用) 12 秋元書房/9/s257 昭和8-14 9 国民学校国語教科書 12 大空社/9/S185 昭和複刻国定教科書(国民学校期)28 ほるぷ出版/9/S62 昭和16-18.

「お」と「を」(および語中・語尾の「ほ」) が同一に帰した。3が同音になったのは11世紀末頃、1と2が同音になったのは12世紀末頃と考えられている。藤原定家の『下官集』(13世紀)では「お」・「を」、「い」・「ゐ」・「ひ」、「え」・「ゑ」・「へ」の仮名の書き分けが問題になっている。 当時の発音は、1は現在の i(イ)、2は je(イェ)、3は wo(ウォ)のようであった。 3が現在のよ. 5 第3期 「尋常小学国語読本」大正七年度以降使用 : と〜ん 6 第4期 「小学国語読本」昭和八年度以降使用 : あ〜つ 7 第4期 「小学国語読本」昭和八年度以降使用 : て〜ん 8 第5期 「ヨミカタ」「よみかた」昭和十六年度以降使用, 「初等科国語」昭和十七年度. 漢語を除き、他言語の語彙を借用することは、古代にはそれほど多くなかった。このうち、梵語の語彙は、多く漢語に取り入れられた後に、仏教と共に日本に伝えられた。「娑婆」「檀那」「曼荼羅」などがその例である。また、今日では和語と扱われる「ほとけ(仏)」「かわら(瓦)」なども梵語由来であるとされる。 西洋語が輸入され始めたのは、中世にキリシタン宣教師が来日した時期以降である。室町時代には、ポルトガル語から「カステラ」「コンペイトウ」「サラサ」「ジュバン」「タバコ」「バテレン」「ビロード」などの語が取り入れられた。「メリヤス」など一部スペイン語も用いられた。江戸時代にも、「カッパ(合羽)」「カルタ」「チョッキ」「パン」「ボタン」などのポルトガル語、「エニシダ」などのスペイン語が用いられるようになった。 また、江戸時代には、蘭学などの興隆とともに、「アルコール」「エレキ」「ガラス」「コーヒー」「ソーダ」「ドンタク」などのオランダ語が伝えられた。 幕末から明治時代以後には、英語を中心とする外来語が急増した。「ステンション(駅)」「テレガラフ(電信)」など、今日では普通使われない語で、当時一般に使. 元来、日本に文字と呼べるものはなく、言葉を表記するためには中国渡来の漢字を用いた(いわゆる神代文字は後世の偽作とされている)。漢字の記された遺物の例としては、1世紀のものとされる福岡市出土の「漢委奴国王印」などもあるが、本格的に使用されたのはより後年とみられる。『古事記』によれば、応神天皇の時代に百済の学者王仁が「論語十巻、千字文一巻」を携えて来日したとある。稲荷山古墳出土の鉄剣銘(5世紀)には、雄略天皇と目される人名を含む漢字が刻まれている。「隅田八幡神社鏡銘」(6世紀)は純漢文で記されている。このような史料から、大和政権の勢力伸長とともに漢字使用域も拡大されたことが推測される。 漢字で和歌などの大和言葉を記す際、「波都波流能(はつはるの)」のように日本語の1音1音を漢字の音(または訓)を借りて写すことがあった。この表記方式を用いた資料の代表が『万葉集』(8世紀)であるため、この表記のことを「万葉仮名」という(すでに7世紀中頃の木簡に例が見られる)。 9世紀には万葉仮名の字体をより崩した「草仮名」が生まれ(『讃岐国戸籍帳』の「藤原有年申文」など)、さらに、草仮名をより崩した平仮. 平安時代までは、朝廷で用いる公の書き言葉は漢文であった。これはベトナム・朝鮮半島などと同様である。当初漢文は中国語音で読まれたとみられるが、日本語と中国語の音韻体系は相違が大きいため、この方法はやがて廃れ、日本語の文法・語彙を当てはめて訓読されるようになった。いわば、漢文を日本語に直訳しながら読むものであった。 漢文訓読の習慣に伴い、漢文に日本語特有の「賜」(. 漢字の字数・字体および仮名遣いについては、近代以降、たびたび改定が議論され、また実施に移されてきた。. 日本語は、文献時代に入ったときにはすでに方言差があった。『万葉集』の巻14「東歌」や巻20「防人歌」には当時の東国方言による歌が記録されている注 8。820年頃成立の『東大寺諷誦文稿』には「此当国方言、毛人方言、飛騨方言、東国方言」という記述が見え、これが国内文献で用いられた「方言」という語の最古例とされる。平安初期の中央の人々の方言観が窺える貴重な記録である。 平安時代から鎌倉時代にかけては、中央の文化的影響力が圧倒的であったため、方言に関する記述は断片的なものにとどまったが、室町時代、とりわけ戦国時代には中央の支配力が弱まり地方の力が強まった結果、地方文献に方言を反映したものがしばしば現われるようになった。洞門抄物と呼ばれる東国系の文献が有名であるが、古文書類にもしばしば方言が登場するようになる。 安土桃山時代から江戸時代極初期にかけては、ポルトガル人の宣教師が数多くのキリシタン資料を残しているが、その中に各地の方言を記録したものがある。京都のことばを中心に据えながらも九州方言を多数採録した『日葡辞書』(1603年〜1604年)や、筑前や備前など各地の方言の言語的特徴を記. 1: 「尋常小学読本」明治三十七年度以降使用 2-3: 「尋常小学読本」明治四十三年度以降使用 4-5: 「尋常小学国語読本」大正七年度以降使用 6-7: 「小学国語読本」昭和八年度以降使用 8-9: 「ヨミカタ」「よみかた」昭和十六年度以降使用, 「初等科国語」昭和.

国定読本用語総覧 第三期『尋常小学国語読本』大正七年度以降使用 - 国立国語研究所

email: sylusuga@gmail.com - phone:(357) 239-3078 x 8865

言い残しておきたいこと - 須田弘一 - 井内堅太郎 人生を切り開く起業ノウハウ

-> 三河・遠州御利益行脚 2008冬 - 山本宏務
-> ブルーマップ 浜松市南区 2014.1

国定読本用語総覧 第三期『尋常小学国語読本』大正七年度以降使用 - 国立国語研究所 - 円台からの 軒激安親子の民宿 マガジントップ


Sitemap 1

雨のカーウォッシュ - とみさわ千夏 - 日本歴史学会 遺墨選集